本当のことは誰にも言わない

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フレーゲ-ギーチ問題に関する覚書

Alexander Miller先生のContemporary metaethicsを読んでいるが、議論が非常に複雑でつらい。そこで、IEPの記事を参考にしながら、頭の整理を兼ねて、ちょっと学んだことをまとめておこうと思う(ちゃんと理解しているかどうか自信がないので、間違ったり、不正確な言葉遣いをしている可能性大)。

 

メタ倫理で問題になるものの一つが、認知主義v.s.非認知主義の対立である。

 

認知主義によると、道徳的言明は真理値を持つ。しかし、道徳的言明は、非道徳的言明と違って、検証あるいは反証することができないように思われる*1。外で雨が降っているかどうかは確認することができるが、ある行為が悪であるかどうかは検証(あるいは反証)できるのだろうか?

 

もし道徳的言明は真理値をもたないとすると、道徳的言明をするとき、われわれは何をしているのだろうか。この点に関して様々な立場があるようだが、その一つは情動主義である。この立場によれば、たとえば「堕胎は道徳的に悪いことである」と言うとき、その言明は「私は堕胎に賛成しない」という情動を表現しているにすぎず、真理値をもたない。

 

しかし、非認知主義をとると、大きな問題に直面することになる。それがフレーゲ-ギーチ問題だ。もし道徳的言明が真理値をもたないとすると、次のようなごく基本的で直観的に妥当に見える道徳的論証も不可能になるように思われるからである。

 

(1)嘘をつくことは悪い。

(2)もし嘘をつくことが悪いならば、誰かに嘘をつかせることは悪い。

したがって、(3)誰かに嘘をつかせることは悪い。

 

道徳的言明が真理値をもたないとすると、なぜこの論証が成立しなくなるのか。それは(2)の文が、もし前提が真ならば、後件も真であるという構造になっているからである。しかし、この論証が妥当ではないというのはおかしいと思われる。

 

この問題を解決しようと、ブラックバーンギバートなどの非認知主義者は努力してきた。しかし、そのやり方は複雑だし、それに対する批判や再批判もあって、議論が非常に複雑になっている。ついていけるか自信がない。

 

しかし、ミラー先生の説明より、IEPの方が分かりやすい気がするのは気のせいか。

 

Contemporary Metaethics: An Introduction

Contemporary Metaethics: An Introduction

 

 

 

 

*1:非道徳的言明が検証あるいは反証ができるかどうかは、それはそれで、問題だが。