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David F. Swenson「The dignity of Human Life」

どもども。これからがんばってブログを更新していくぞ。

 

最近、人生の意味の哲学を勉強しているので、下記の読書メモをつけてみるぞよ。

 

The Meaning of Life: A Reader

The Meaning of Life: A Reader

 

まずは、David F. Swenson「The dignity of Human Life」 。

いきなりだが、正直、けっこうわからなかった。 

 

著者について

どうやらキェルケーゴーリアン(で正しいのか?)みたいだが、ぐぐってもあまりよくわからなかった。David F. Swensonでググると、ポートフォリオ理論を研究している人のことが出てくるが、これはさすがに別人だと思おう。

生命観a view of life

いきなり「人は前に向かって生きるが、後ろ向きに考える」というキェルケゴールの言葉が引用されて、過去がなければ、未来はなく、過去と未来がなければ、現在に没入する獣である、みたいな話がはじまる。

次に、若者は将来に備えて様々な訓練をして準備をするように、永遠の生にも準備が必要だという話になる。このあたりのつながりはなんとなくわかるのだが、はっきりとはよくわからない。

永遠の生の準備にあたるものが、生命の見方a view of lifeと呼ばれる。これは、主観的確信で、教えられるようなものではないらしい。

生命の見方は教えられるようなものではないけれど、誰かの助けになるかもしれないから、いっちょ説教をかましてやっか! というのがこの論文の趣旨みたいだ。

幸福

生命の見方を得るために重要なのが幸福である..... というのは、幸福になるのが生命の仕事だからだ! みたいなことが述べられる。パウロなども引用されている。

アリストテレスの『弁論術』で述べられている古代の幸福観と現代の幸福観を比較し、あんまり変わっていないよねということを確認する。

ここからSwensonは、2つの幸福観を批判することで、自らの幸福観を明確化していく。

まず、幸福の構成要素は1つのものでなければならない。複数の構成要素があると、

精神が引き裂かれちゃうよねというのが理由っぽい。

次に、幸福は外的なものに依存してはいけない。不確実性に悩まされるからねというのがその理由っぽい。

3つ目に、富や権力、健康、美は相対的な善にすぎないよねという話が入る。

最後に、特定の人だけが幸福なのはダメだよねと主張される。これは、Swensonの主観的確信なんだろう。

 

倫理な生命の見方

Swensonが擁護する幸福観は、幸福は道徳的意識のうちにあるというもの。あんまりどういうこっちゃわからないけど......

各人に無限の価値を見出すものである。

道徳的意識は神を呼び出し、真の自由であるところの、神の召使になれるらしい。

 

コメント

道徳的善と幸福と人生の意味は実は同一なんだ! という主張だと思うんだけど、すごく豪快でよい。