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Emil L. Fackenheim「ユダヤ教徒と人生の意味」

へ~い。ちょっと仕事忙しかったので、久しぶりに更新だぜ~い。
 
第四章は、Emil L. Fackenheim「ユダヤ教徒と人生の意味」。
 
The Meaning of Life: A Reader

The Meaning of Life: A Reader

 

 

 
◆著者について
Fackenheimはユダヤ哲学者で、ユダヤ教改革派だそうだ。
ドイツ生まれだが、水晶の夜で襲撃されて、ドイツから逃れた。
その後、カナダの大学で哲学教授になったが、晩年はイスラエルで過ごしたようだ。
 
ホロコーストについて思索し、The 614th Commandmentということを言っているらしい
(613まではマイモニデス)。詳しくは英語版Wikipediaをみてくれ!
 
◆神との邂逅によって人生の意味は与えられる
宗教は、神(や神にあたるもの)と人間の邂逅に関して、実質的な違いが存在する。
ユダヤ教では、神と人間の邂逅は神秘の中の神秘であり、原初的なものである(他の事柄で
説明することはできない)。人間より遥かに高いところに座す、無限の神は、
人間のところまで降りてきて、有限な人間を有限なままで、受け入れ肯定するのである。
 
ユダヤ教の神と人との邂逅には、根本的な緊張がある。なぜなら、エピクロス主義や理神論のように、
ユダヤ教では神と人間は完全に切り離されたものではないし、反対に、スピノザのように、
神と人とを合流させてしまうこともないからである。
 
ユダヤ教によれば、人生の意味は、神と人との邂逅によって与えられる。ブーバーの言葉を借りれば、
神の現前は、表現不可能な意味の確証であり、人生の意味の問いは消滅してしまうからである。
 
◆神との邂逅の構造
とはいえ、表現不可能な意味の確証は、表現である。そのため、神との邂逅は内容と構造を
持っていることになる(という謎の議論の展開)。
 
・神と人間の関係は、近い時と遠い時がある
 ユダヤ教では、神と人間の関係には近い時と遠い時が存在する
 神との距離は、週末によって克服される
 
・神が人間を受け入れ、確証するのは、命じることによってである
 神は人間を受け入れ、確証する時、神はその人間に命ずる。人間は、その命令に対して、
 「人間として」応答しなければならない。というのは、神の命令は、人間としての彼/彼女に対する
 命令であるからである。
 
神が人間を受け入れ、確証するのは、命じることによってであるということは、
人間の人生の意味に次の4つのことが生じることになる。
 
①神に人間として命じられている
②神の命令は、人間に実現可能なものである
③神との関係は相互的である
 (神は人間を命じることによって、人間と契約を結んだことになり、
  人間との契約によって、自分自身を制約することになるからである)
④神との関係は、人間によって破壊可能である
 
⇒神と人間の関係は、契約であるがゆえに、神と人間は完全に近くなることや、
 完全に遠くなることはできない
 
◆コメント
わりと面白く、勉強になる
また、神による命令に従うことが、人生の意味を与えるというのは示唆的
ただ、その命令は具体的ではないので、私のような無神論者からすると、
不満は残る